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子どもと本の出会い
幸せな出会いのために (2005年07月) |
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はじめに では子ども自身による「本を読みたいな」という欲求は、どのようにしてつくられるのだろうか。読みたいな、読んでみようかなと思うのは、本を読むことの楽しさをどこかで覚えた子どもか、あるいは目の前の本に対して知的な好奇心を抱くことができる子どもに限られる。本を読むことの楽しさをどこかで覚えるためには、それを一度でも非常に強く、二度と忘れられないほどに強く経験する必要がある。あるいはそれほど強くなくても、繰り返し何度も経験することによって自然に記憶として定着することでもよいだろう。
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本との幸せな出会い 子どもの知恵は通常、遊びの中で、特に他の子どもと遊ぶ中で身につけると言われる。しかし本に対する知的好奇心の育成を他の子どもとの遊びに求めるのは、現代のように兄弟・姉妹も従兄弟・従姉妹も少ない時代には難しいだろう。親の監視下、公園で近所の子どもと短時間遊ぶだけでは期待しても無理というものだ。そこで疑似体験としての別の遊びが必要になる。理想は大勢の子どもによる遊びだが、現代では親や絵本にこの役割を期待するしかない。そこでお勧めするのが、まず子どもと本との幸せな出会いをつくることである。
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幸せな出会いをつくるために 第二は、子どもに聞かせるために本を読むのではないということだ。親子で過ごす時間をより楽しくするために読むのだ。これを忘れると、楽しくなるはずの時間が反対に苦痛をもたらす時間にもなりかねない。親子で楽しく過ごす方法はいろいろある。お話しをしてあげたり本を読んであげたりするのは、そうした方法の一つに過ぎない。当たり前のことだが、聞かせようとすると子どもが聴いている聴いていないが気になるし、聞かせるための技巧も知りたくなる。そうなると親子で楽しく過ごすという一番大事なことが二の次、三の次になってしまう。これではかえって逆効果になる。いつものお母さんとは違う「よそのおばちゃん」みたいな作為の時間になってしまう。
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言葉の楽しさ そもそも本を読むことの楽しさとは、言葉に触れることで味わえる楽しさのことだ。言葉には耳で聞く言葉だけでなく目で読む言葉、すなわち文字も含まれる。文字の発明は耳で聞く言葉を時間が経っても消えないように、もう一度聞き直すことができるように紙の上に定着させた。目で読めるのは紙の上に記された記号に共通性があり、その共通性を学ぶことによって誰でも元の言葉に復元できるからだ。
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楽しい時間へのご褒美 本に対する知的な好奇心が芽ばえる機会は、子どもの一生のうちには必ず何回もあるはずだ。だから幼児期にそれができなかったからといって失望する必要はないし、不安になる必要もない。が、幼児期にこれらの点を充たすことができれば、とりわけ第三の点に対する努力が実れば、何よりも幸せな楽しい時間を過ごせることになる。この幸せこそが、やがては知的な好奇心も芽ばえさせてくれる。それはあくまでも結果である。他人と比較することでも、何冊読めばよいかということでもない。子どもと過ごす楽しい時間に天が与えるご褒美だと思ったらよい。
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